橋の手前には復元された高札。
そしてその高札の解説。
これによると、もともとはここより下流に川の渡り場があったが、大水のたびに溺れ死ぬ旅人が多く出て、その対応に土山宿の役人も住人も苦労していたとのこと。
それで土山宿の人たちが中心になってお金を集め、田村川木橋を架けた。
幕府の公用でこの橋を渡る人や、近村の百姓で田畑が川の向こうにある人は渡り賃無料だが、それ以外の住民や旅人は、渡り賃が必要になり、そのあたりのことがこの高札に書かれているのだという。
「この規則は一時的なものでなく、橋があるかぎり永遠に続くものである」
なんて最後に書かれているから、
てっきりどこかに、現代版ということで寄付箱なんかがあるのかなと探したけど、それはなかった。
今かかっている橋はかなり新しそうだ。
川もきらきらきれい。
それにしても、鈴鹿峠から降りてきてからずっと感じ始めているんだけど、土山って、すごく史跡保存の力いれている自治体だなあ。