本陣跡とか問屋場跡とかに限らず、
ほとんどすべての建物の前に、昔の屋号が書かれた木の札が取り付けられている。
ここは左官屋。
商店に限らず、一般の家にも。
古い建物にも、新しいモダンな住宅にも。
「へー、このあたりは大工さんが多かったのか」など、通りを歩きながら、ずっと左右の木の札を目でおいかけてしまった。
ここは「さかくらや跡」。
ひとつの建物に2つの木札がかかっているところも。
取り付けられている場所もいろいろ。
リビングの出窓の内側においているところもあった。
「おたく"髪結い屋"さんっていいわよねえ」
「あら、鍋屋さんもいじゃない」
近所でそんなネタの話が盛り上がることもあるのだろうか?
江戸口門を越えると、宿場の中心部になる。
今でもここは、アーケードつきの商店街として発展している。
そしてこちらにもすべて昔の屋号が。
脇本陣跡も
本陣跡も、この商店街の中にある。
ここで、この屋号札についての解説を読んだ。
亀山市は、江戸時代の城下町。また東海道四十六番目の宿場町として栄えたまちです。 そんな亀山から近年急速に古い建物が姿を消し路地もさびれて、以前の賑わいも見られなくなりました。 かかる現状を憂えた"きらめき亀山21町並み保存分科会"では協議を重ねた結果、歴史的なまちのたたずまいを復活するr最初のプロジェクトとして屋号の木札をつくり、該当するお家に掲げていただくことをはじめました。 屋号で呼び合ったまちの人たちの暮しには、なぜか親しみを感じます。
大手門跡あたりをすぎると、じぐざぐ道へ。
このあたりの木札は比較的新しいものだった。
きっとプロジェクトは好評で、エリアを広げているのだろう。
ふと脇を見ると、
この亀山宿がかなり高い場所に位置していることがわかる。
遍照寺の門の外の眺め。
旧道は平らな部分が多いが、町全体としてはかなり坂の多いところみたい。
高台には、粉蝶城(こちょうじょう)とも呼ばれた亀山城があった。今は解体され、石垣など一部しか残っていないそうだ。
西町問屋場跡。
このあたりは古い家もかなり立ち並んでいる。
坂道に設置された京口門は、非常に立派なものだったらしい。
「亀山に過ぎたるものの二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門」
広重の浮世絵にも、この崖上の門が描かれている。
その坂道を降りてゆくと、
またまたびっくり。
こちらも年代を感じさせる古い建物が両側にずらり。
そしてそんな古い家屋を使った、お洒落なカフェやレストランもこの通りにはある。ここは「アンティーク森」。
ぜんざいや葛湯の他、うどんも。
名物はこの、極太の麺を使ってもちもちした「伊勢うどん(500円)」だそうだ。
残念ながら休業日だったけどね。