東海道53次ウォーク~街道を歩こう!東海道ウォークの計画・ガイドブック・体験談など

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大津宿をてくてく

ずっと東海道を歩き続け、だいたい分岐点でも迷うことなく東海道沿いを歩けるようになっていたのに、この大津宿では、石場駅近くの二股のところでわからなくなり、「ここでいいのかなあ」と自信ないまま歩くことになってしまった。

結局、一本道間違えていたんだけどね。

大津は滋賀の県庁所在地で、大通り沿いにはビジネスビルが立ち並んでいるんだけど、一歩細い通りに入れば、小さな店が軒を並べる商店街。古い建物も老舗のお店も結構残っている。

そして脇道にはこんな風景も。

滋賀県庁。

懐石料理のお店「魚忠」。
数寄屋造りの店内で、ランチタイムには、竹籠に料理を詰めた「花遊手かご弁当」が人気とのこと。

ちょっと、ばさばさした格好でひとりで入る勇気はないが、次に来ることあったらここで食べてみたい。

この角に建っているのが、大津事件の記念碑。
ロシア帝国の皇太子が、巡査、津田三蔵に斬られた事件だ。

大津事件 - Wikipedia

明治天皇まで駆り出す大騒動になったが、津田は法律に沿って一般人に対する殺人未遂罪が適用され、死刑は回避された。高校の日本史では「司法独立を守った」ということで学んだ。

この事件で津田を取り押さえるという思わぬ功績を挙げた人力車夫、向畑治三郎と北賀市市太郎の二人は、事件後18日夜にロシア軍艦に招待され、そこでロシア軍水兵からの大歓迎を受けた。そしてニコライから直接聖アンナ勲章を授与され、当時の金額で2500円の報奨金と1000円の終身年金が与えられた。日本政府からも勲八等の勲位と白色桐葉章、年金36円が与えられた。当時、低い身分の職と見なされていた人力車夫に勲位と勲章を与えることはきわめて異例であり、その後も2人は国内で「帯勲車夫」と呼ばれ一躍英雄として脚光を浴びることとなった(「大津事件 - Wikipedia」より)

そんな後日談もあったんだ!

さらにまっすぐ歩き大きな通りにでたところで東海道は左に直角に曲がる。
その交差点のところが「札の辻跡」。

江戸時代には、人馬会所が置かれにぎわっていたという。

ここには大津市道路元票もあった。
自治体ごとに定められた道路の基準点だったもの。

ここが大津宿の中心部分だったということなので、
コッコちゃん記念撮影♪ 少しお疲れ気味。

ここには、京阪京津線が走っている。
大津と京都を結ぶ短い路線だ。

路面電車?といってしまっていいのかな?
普通に単独の線路を走っている区間もあるようなんだけど。

ここが本陣跡。

多くの旅籠が並んでいたとのこと。

ここはもう、道路も拡幅されていて、昔の面影はなくなっている。
この右手奥の山を越えると、京都だ!