東海道53次ウォーク
自分の人生このままでいいの?そもそも何がやりたかったんだけ?歩きながら考えることにした。
静かな庄野宿

庄野宿に入ると目立つ石標が建てられていた。

ここが江戸口。

広重が描いた「庄野の白雨」で有名な宿場。
規模はそれほど大きくなかったようだ。

本当に静かな通り。
道幅も昔とほとんど変わらないとガイドブックに書かれていた。

旅籠屋造りと思われる古い家も残っている。
二階の部屋から、下の賑やかな通りをのんびり眺めている旅人などもいたのだろうか。

日曜日の午前中だったこともあると思うんだけど、
地元の人とすれ違うこともあまりないまま。
でもたまに会って軽く会釈すると、
笑顔を返してくれたりしてうれしい。
この裏の通りでは、農薬散布用のタンクをかついだ男性に「がんばって!」なんて声をかけられてしまった。

東海道を歩いていてよく見かけるのは、コミュニティバスのバス停。自治体などが運営していて、運賃は100円など安い。
役場や病院、駅などをぐるぐる巡回していて、場所によっては10人乗りくらいの小さなもののことも。お年寄りなど中心に利用しているようだった。

これが「白雨の庄野」。
日本には本当にたくさんの「雨」の呼称があるが、「白雨」という言葉も美しいなあと思う。その情景が目に浮かんでくる。
前に図書館で、「雨の名前」とかいう本を借りたことがある。
いろいろな雨の日の写真とともに、日本古来からの雨の呼称を解説している、写真集テイストの本で、とてもよかった。

江戸口から歩いていて最初に登場する施設は、庄野宿資料館。
ガイドブックによると、油問屋だった旧小林家を創建当時の姿に復元し、庄野町に残る宿場関係の資料を展示しているという。

開館が10時からでちょっと早くについてしまったので、外から写真だけ撮って通過することに。
中には320年前の高札や、江戸時代のお土産「焼米」のサンプルなどが展示されているという。


問屋場跡は、一般の家になっていた。

本陣があったのは今の郵便局。

本陣がその役目を終えた後、どういう経緯で郵便局になったのかなあ。資料館に入れれば、そんなところも書かれているのかもしれない。

両隣の宿場からの距離が書かれていた石標。

郵便局から通りはさんで隣には、高札場跡が。

庄野宿資料館には、実物5枚が展示されているとのこと。

そして同じ家の玄関の左上にもうひとつ別の案内板。

ここは脇本陣跡。
庄野宿では、本陣と脇本陣が並んでいた。

赤と青のラインがぐるぐる登り続ける美容院は・・・

郷会所跡とのこと。
これ、他の宿場であまり見たことがなかったので、
久しぶりにまじめに案内板を読んでみる。
「郷会所は、助郷の割当てを受けている各村の代表者(庄屋または肝煎)が集会する場所であった。
江戸時代も後期になると助郷人馬の割当てが多くなり該当の村々の疲弊が重なり、減免陳情のための会合が繰り返された。
庄野資料館には、陳情書の控え等が保管されている。」
大変だったんだなあ。
そして「肝煎(きもいり)」という役職があったのか。
今後の日常生活で役立つ言葉じゃないけど、
いろいろ知らなかった単語をちょこちょこ学んでいる今日この頃。

西の端、京口にも石標が設置されている。
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